宇宙理論(ふわスピ)にどハマりした結果。
ふわスピにどハマりした結果、、、
現実には、何もなくなった。
何もなくてもOK。
また、またそんな都合の良い教えにすがって、どんどん貧しくなる。
何もなくて言い訳がない。
現実逃避はほどほどに。
めんどくさいメソッドを自分なりに初めました。
脱ふわスピ。
やりたくない仕事だからやらない。
嫌な気分になるからほっておく。
そんな事をやってたら、
当たり前だけど、生活ができなくなった。
パートナーがいないから、自分の身に降り掛かってくるだけだけど、パートナー、彼女、奥さんなんていたらただの迷惑な男でしかない。
ふわスピに寄せていってしまうと、
迷惑な男女が誕生する。
金もない。支払いも滞る。滞納する。人が怖くなる。世界が怖くなる。
もう、オワコンですよ。
奇跡なんて待ってても何も起きないし、
期待してることと違ったら腹を立てる。
そんな人が稼げるはずがない。
そして何より、
人生がつまらなくなる。
だから今は、
めんどくさい事を完了してる。
いざ、バイトに行ってみると楽しいいし、
気分も軽い。
嫌なこと、重たいこと、めんどくさいことを完了していくと、なんだか気持ちも軽くなるし、お金も稼げる。
ふわスピを実践する前に、
自分の生活を大切にしたい。
確かに、僕たちは、現実の世界に生きている。
3次元の世界を大切にせずに、空想の世界ばかりに比重が大きいと、気持ち悪い。
何より、つまらない。
だから、
人間の生活を大切にしたい。
先ずは、生活。
自然に生きたらどうなるのか??
スピリチュアル、宗教、ビジネス、様々な教えに縛られて生きている。
幸せを感じたい。充実感、充足感、喜び、安心、安堵感を感じたい。
だから、自分自身を変えようと様々な教えに自分を寄せていって不自然さを感じる。
なんか変な人になっちゃう。
波動が高すぎたり、低すぎたり。
自分が取捨選択した概念に縛られて生きていた。
悪い気分にならないように、
良いことが起きるように。
教えから外れないように、
不自然な生き方が始まる。
生きにくくしていたのは、
自分が良かれと思っていた概念だった。
思考のあれこれをせず生きたらどうなるのか?
自分の中で生み出されたものややり方が唯一無二。
教えてもらって、仮にうまく行っても、
マウント野郎になってしまう。
だって、自分のやり方では無いから。
寄せてやっても、
ずっと寄せて、不自然さが出る。
気持ちが悪さをかんじる。
だから、
じぶんのままでいいんじゃね?
ふわスピハマって7年男の末路。
ふわスピにハマって7年が経った時、自分の現実を客観的に見て目が覚めた。
そういえば....
どんどん貧しくなってねぇ??
現実は一旦置いといて、
今、気分のいいことだけやる。
自分が男だからかな...
現実は見ないように頑張るけど、
どうしても見てしまうよな。
ふわスピで日常の嫌なことは誤魔化すことはできた。でも、実際、現実は貧しくなっていることにやっと気がつく。
煌びやかな世界をSNSで見ている一方で、
あれ?自分ってめっちゃ貧乏やん。。
おかしいな。
ちゃんとやれてねーのかな??
人間の生活もままならないし...
どちらかというと、その日暮らしの底辺アラフォーじゃねぇ?
ヤバタニエンのお茶漬け。
ただ豊かに生活したい。
その生活も真逆。
友達なし、彼女なし、家なし、金なし、借金だらけ。無いことにフォーカスを当て無いようにと誤魔化しても、どうしても人間生活って自分が一番身近に感じることだから。
生活を少しでも豊かにしたい。
そんな気持ちが湧くんよね。
ふわスピ。
マジで危険だな。
嫌なことを避けていると、
どんどん貧しくなるんやな。
病んでる時は、
ふわスピでもいいと思う。
でも、ずっとそこに居て、
宇宙の恩恵とか言って待ち続ければ
人生はあっという間に終わる。
ふわスピってる時、
この世の断りを知った気になって、
相手にマウントをとっていたこともあったな。
って今思うとダセーなって思う。
ふわスピ男女、
マジで危険だと思う。
人間生活の方が大切だし、
感情も動きやすい。
ふわスピ一抜けた。
単発バイト(ホールスタッフ)での手の震え
ホールスタッフは向いてない。
接客は向いていない。
だから避けて生きてきた。
人前で失敗するのが怖くて、
失敗した時の居心地の悪さや恥ずかしさに自分自身過去の体験から耐えきれない。そう思っていた。
今回、ホールスタッフのバイトで、
お客さんのお冷を注ぐ時に、ガタガタと手が震えた。隠そうとさらに手が震える。
その数分前に店長さんから水の注ぎ方のレクチャーがあった。その通りにやらなくては、そんな言葉が頭の中がいっぱい…
いつもの自分なら、
あー水つぐの嫌やな。もう2度とこんな人前ですることはやめよう...そんな風になってしまっていた。
でも、今回はあえて、
この手の震えって止まるのか?実験して帰ろーって
思って、店長の言ったレクチャーは、いったん忘れて、水をただ注ぐ(自分なりに)それでいいや〜って作業をすると、緊張感や、あれこれ考えず、手の震えも無くなった。
頭の中のうるさい声は、しなくなった。
やばいぞ!震えてるぞ!バレるぞ!肩幅に足は開けよ、できてねーぞ...
そんな頭の中のうるさい声は静まった。
水を注ぐ(自分なりに)自分がやりやすく、お客さんが不快に感じない方法で自分なりにやる。
ただ、これだけの意図で、
体の震えや、緊張は無くなった。
嫌だと避けていた事の中に、
生きやすくなる宝物が沢山あるような気がした。
現実逃避の7年間(ふわふわスピリチュアル)
7年前とても心が苦しい時に宇宙理論に出会い、心が軽くなった。そして、これが正解だと思って、心や見えない世界だけを大切にし、社会や現実は「一旦、見ないように」として生きるようになった。
カフェで望みを書き出し、気分を味わう。
瞑想して、ほっとする。出来ないと思うことは、極力やらない。
そして、先日、シェアハウスのベットに横になっている時に、ふと我に返った。自分の現実を見てみると、所持金は6千円、日雇いのバイト、税金は滞納、携帯代は滞納、前住んでいた所のガス代、電気代、家賃滞納、退去費用未払い、ボロいシェアハウス、友達もいない。彼女もスピを初めてから出来なくなった。これが現実だということにハッとした。
スピリチュアルを学び、日々実践しているのに、現実は豊かになるどころか、借金に追われ、借金が増えたりと、逃げ回る人生へと変わっていた。
自分の生活すらまともにすることが出来なくなっていた。何かがおかしい。そう感じた瞬間はあったが、気分が世界を作ると信じたかったし、楽だったので、毎日、現実を逃避するように生きていた。
一瞬だけ、その状態なら分かるが、
年々、おかしくなっている気がしてた。
気分にフォーカスを当てて、望みに希望を抱いていると瞬間は、現実が苦しい時は、確かに楽にはなった。しかし、現実が豊かになったり、自分の生活に満足することは一切なかった。